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Posts under ‘古民家’

清水寺の解体修理現場見学会 子安塔(こやすのとう)

子安塔修理現場の素屋根のシートに原寸大の絵が書かれている。 現在は解体中で残りは1層部だけとなっている。 解体された部材たち。全ての部材に番付けされていて、写真も全て撮っているので何の部材か分からなくなる事はほとんどないらしい。 屋根最上部、心柱がこの真ん中から突きでている所の部材です。心柱とは接合されなくなっている。 現在は馬駐(うまとどめ)、本坊北総門、子安塔(こやすのとう)が保存修理事業として進んでる現場で、目には見えていないが本堂の屋根葺き替え材料の檜皮を集めているらしいです。 国宝清水寺本堂ほか8棟保存修理事業は平成30年12月31日までの工事期間を予定している。工事費は40億円だそうです。また機会があれば他の現場も見学したい。

清水寺の解体修理現場 本坊北総門

北総門解体修理現場 素屋根の丸太むちゃ太い 見学に行った前日に上棟式が行われたらしい。どんなんか見たかった。 金物も所々使用されている。 埋木の形いろいろ。上はもみじの葉の形。 新材には刻印をしています。3月から屋根の瓦葺き工事が始まります。

清水寺の重要文化財建造物解体修理現場見学会

今日、日本民家再生協会イベントで清水寺の重要文化財建造物解体修理現場見学会に行って来ました。 馬駐(うまとどめ)の解体修理現場内です。この建物の部材名称が独特です、「さるみみ」「ころもかけ」「くすり貫」等 「さるみみ」馬小屋に猿のものを飾ると縁起がよいみたいらしいです。 この建物は元より柱の長さが3寸8分短いので全部根継ぎするらしい。根継ぎと言っても単に金輪継ぎをするのではないらしい。 まだまだ書きたいことがいっぱいありすぎて頭のなかが整理できていないので随時アップしていきます。 今日はなかなか勉強になった。おもろかった。 よう

滑車

倉庫に眠ってた滑車たち。 左から2つ目の鉄製の滑車は井戸についていたものです。 右端の欅の木でできている板状の滑車はなんに使われていたのか分からない。違う角度からの写真が下のです。 この滑車たちは全て現場から持ち帰ってきたものです。別になんかに利用するわけでもないが、捨てるのにはもったいないので、テイクアウトしてしまう。死ぬまで治らない病気だろう。

小庇

現場近くの蔵の写真です。 窓の小庇の腕がなかなかこっていたのでパチリ。 高知の室戸岬の近くに吉良川というとこではこの庇を水切り瓦と言ってすごくこっています、もちろん漆喰は土佐漆喰で塗っています。 南海フェリーが3月まで土日1000円で乗れる期間中に水切り瓦の町吉良川と徳島県の椿泊(高欄がすごくこっている民家が残っている港町)に行きたい。

なめら石の塀

和歌浦の現場近くのなめら石の塀です。 約30センチ間隔で横にすじがはいってるのはなめら石を1回に積み込む高さで、型枠を組んでなめら石をひとつひとつ型枠にあてながら裏込みしながら積んでいきます。むちゃくちゃ手間のかかる作業です。 昔現場で庭の縁にした事があり、職人さんに型枠組んでくれと言われた時はピーンとこなかった事を思いだした。 今ではこんな手間のかかる塀はほとんどしないだろう。しかしこの塀は綺麗に仕上がっています、年数もかなりたっていると思う。この塀壊さず残していってほしいものです。  

古建具

和歌浦の現場からもらってきた古建具。 ええやんばいに黒ずんでいる、元の色は茶色かったと思うが何かに利用するなら、このままの色で使いたい。 現場で職人さん達に、「それ持って帰ってなにするん」と言われたが、ないしょやと返事。なんやかんやと現場から持ち帰ってくるものが増えるばかりや、興味のない人からしたらゴミやと思われるかも、でも民家協会の友人Kさん(鬼瓦ノ呟キ)だったら分かってくれるやろな。  

ちゃぶ台

和歌浦の現場の天井裏からでてきた「ちゃぶ台」です。 天井裏で眠っていたのですすだらけだったので水洗いして綺麗に。 ちゃぶ台と言えば、昔漫画で「巨人の星」という漫画があって、主人公星ひゅう馬の親父星一徹がこのちゃぶ台をひっくりかえしていたの思い出す。 今時家でそんな事をしたらちゃぶ台といっしょに嫁さんに家からほりだされるやろ。

力天井

今日から着工した和歌浦の解体、改修工事の現場での力天井の写真です。 和歌山では力天井の事を「りきてん(力天)」という。和歌山の人はなんでも略をして呼ぶのが好きみたい(特に建築関係は)。 力天井とは小梁をかけた上に厚い目の床板(下は天井板になる)を貼って上を物置に使うのが一般的です。この現場は2階は畳を敷いた和室でした。

古建具

今日昼飯を食べに入った店の入り口のドアに古建具が使用されていたので写真をパチリ。 框の大きさからして蔵戸に使われていたと思う。 昔の建具なので、高さが低いので上下に桟を打ちたしていた。でも違和感はなかった。 店内にも蔵に使われていたと思う柱が何本も天井から吊り下げられていた。さすがに写真は遠慮した。蔵の柱だと思ったには理由があり、貫の穴の幅が大きかったからです。 しかし、どこに行っても古いものに目がいくのは病気かもしれない。死ぬまで直らないであろう。