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Posts under ‘古民家’

玄関保存

先日那賀高校に初めて行って気になる建物を発見。 旧本館教室棟の玄館が保存されていた。玄館保存にあたってという説明のなかのことばに「本校の歩みを刻んだ象徴として玄関を永久保存することになる」と書かれていたのが印象に残った。

鏝絵

風吹峠を越えたところで鏝絵の鍾馗さん(魔除け)を発見 ひょっとして鏝絵ではなく瓦製を塗装しているのか?遠くからなので分からない。 鍾馗という戦闘機があったような気がする。 妻に鏝絵で描かれている名称何というか分からない、和歌山県でも少ないが見かける。鏝絵が多く見られるのは静岡県松崎町、大分県宇佐市、島根県太田市等が有名。

大宇陀 松山地区

奈良県宇陀市松山地区は重要伝統的建造物保存地区に指定されています。建物の特徴は簡単に言えば間口の大きな町屋が多く見られる。もともとは城下町でその後商家町へ発展した街並みです。 なぐりの格子風の犬やらい。和歌山でもよく見られる。 これが京都の町家でよく見られる犬やらい(駒寄せ) 薬の広告看板を戸袋の鏡板や妻板に利用。 「うだつ」 むしk 虫籠窓(むしこまど)虫かごに似ているのでこの名がついた。窓の形で時代が分かる、丸形は江戸中期、横長丸形は江戸後期、長方形は明治、軒高長方形は大正時代とだいたいあたります。江戸時代は町人が武士を見下ろすと言う事で二階を持つ町家や商家は禁止されていたため、高さを抑えた中二階(厨子二階)として主には物置として使われていた。虫籠窓は建築様式の時代を知る目印として役立つと思う。

宇陀松山華小路

10月16日 宇陀市松山重伝建地区の路地にダリアの華じゅうたんが出現。 奈良県はダリアの生産量は日本一 15日の朝から花を摘み、並べ、16日には地元の方や来訪者に持ち帰って頂けるようになっている。 「重要伝統的建造物保存地区 宇陀松山」の散策画像はまた後日。

五条新町

奈良県五条市新町通り。88番目に伝統的建造物群保存地区に認定されました。 日曜日が定休日だったので餅は食べられなかった。 酒屋さん。米屋さんほどではないが連子格子はちょっと太めです。 書状集箱(昔の郵便ポスト) 薬局屋さんに貼られていたポスター何年前のポスターだろう、高田純次がむちゃくちゃ若い。 まだまだ見どころのある建物が残っています。柿の葉寿司を買い帰路につく。

大工さんに聞いてみたい

先日、見学させてもらったお宅の床脇の地袋と地板の取り合いの仕口が気になった。 地板と地袋の竪板の取り合いが留めになっている。この仕事をした大工さんにどういう理由でこの仕事をしたか聞いてみたい。  

石灰岩の石垣

先日、JMRAの友人Kさんに初めて下津町の鰈川(かれがわ)という所に連れて行ってもらいました。目的は古民家の見学でしたが、石灰岩の石垣がきれいだったので紹介します。 同じ下津町の大崎という所では昔石灰岩が採れたという話は聞いたことがあるが、そこからかなり離れているのでこの辺でも採れたたのかな?和歌山県の白崎海岸は石灰岩では有名で近くに鍾乳洞もあります。大崎の山の下にも鍾乳洞が眠ってるかもしれない。 いいものを見せてもらった、Kさんには感謝、感謝。石垣の上に建っているお宅がまたすばらしかった紹介はKさんのブログで紹介されていたのでやめときます。 下津町はいろんな見どころがある、和歌山県の国宝建造物が7つあるうちの4つが下津町にある。今度Kさんに下津町の塩津に連れて行ってもらう予定。

上郡

9月25、26日と日本民家再生協会のイベントでボランティアによるかやぶき民家再生プロジェクトに参加してきました。 兵庫県南西部の上郡にある築100年のかやぶき民家のボランティアによる再生プロジェクトも今年で6年目、延べ22回目になり今回は昨年から着手している小屋つくりの刻んだのを建前して屋根のルーフィングまで張る作業です。 1日目は、建て方まで完成。簡単な上棟式を行った。 2日目垂木をうちつけ、瓦桟をうち野地板を張りそのうえにルーフィングを張って無事作業完了、参加者全員で屋根の上に上り記念撮影。100人のっても大丈夫?(どっかの宣伝) 次回は屋根の瓦葺きの段取り、古瓦に穴をあけたり、土の用意とか。それと竹下地の段取りとか、することはいっぱいある。次回は地元の秋祭りもあるのでそれも楽しみ。この小屋いつ完成かは未定、参加者みんなと楽しみながらやっていければそれでよし。    

国の重要文化財

紀伊風土記の丘で現調が合ったので、久しぶりに旧柳川家住宅と旧谷山家住宅を見学した。2棟とも国の重要文化財です。 旧柳川家住宅の外観。海南市黒江に建てられていた町屋で、住宅は文化4年(1807)に建てられた2階建の主屋と2階建の前蔵で構成されています。 主屋は土間であるニワ部分と、畳を強いた部屋(四間取平面、田の字型平面)。 この住宅は、町屋として典型的な配置と間取りをしており、良質な材料と優れたデザインをもち、和歌山県を代表する町屋の一つです。 旧谷山家住宅の外観。海南市下津町塩津浜で北の海に面して建てられていた漁家で、谷山家は漁業と海運を営んでおり、住宅は寛延2年(1749)に建てられた2階建の建物です。 主屋と倉部分からなっていて、主屋のうち右側は奥まで続く土間とし、2階までの吹き抜けとした大きな空間をもち、室内での作業場や加工中の魚を収納する場所として使っていた。 漁村では地形的な制約が多く、敷地は雛壇状に造らなければならず、建物も狭い敷地いっぱいに、変形した形に建てています。現在も塩津浜にはこのような建物が残っているらしいです。 紀伊風土記の丘には、この他旧小早川家住宅、旧谷村家住宅(2棟とも茅葺の家)が移築されています。 以外と和歌山の人でもここに移築された建物があることを知らない、古民家に興味のある方はぜひ見に行ってほしい。

幻の写真

幻の写真というのは先日行った清水寺の子安塔(こやすのとう)の解体修理現場の足場から撮ったアングルの写真です。 上の写真のアングルは足場がなければ撮れないアングルでこの写真は貴重なものになるかも。 写真で見える本堂も今回の修理事業で屋根の葺き替え工事をするらしい。あの大きな屋根をすっぽりと素屋根で覆うらしい。その素屋根の工事だけでも凄い費用がいるでしょう。